飼い主さんは・・・
2011年05月03日(火)更新
こんにちは、事務長の高野です。
ただいま広野町・・・どんよりと曇ってきました。
すっかり日付と曜日感覚を失った事務長・・・
「今日は日曜日!!工事の人はお休みでいないから、様子見に行ってこよう!!」
なんて・・・・海岸沿いを散歩に出かけました。
患者さんのお風呂の準備をしているスタッフと廊下ですれ違い・・・
あれ??なんで今日お風呂???ってことで、
やっと今日が火曜日の祝日ってことに気がつきました。
震災後さらに脳細胞がプチプチと消えていっております・・・
でも・・・・
お仕事をしている火力関係の工事の方たちと、沢山お会いしました。
みなさまお疲れ様です!!!
うっかり、道を誤り(人生の??)1時間近く放浪してしまった事務長の目の前に・・・・
3頭の野良牛が・・・・
事務長の特技・・・目が合うと、たいていの異性には逃げられるのですが・・・
動物系には寄ってこられる!!!
そんなわけで、目を合わせないように・・・そぉーっとそぉーっと逃げてきました。
こわかったよぉ・・・
どなたのお家のべ子ちゃん達でしょうか。
茶色いべ子ちゃん達です。3頭仲良しのようです。
お家に帰れるといいね・・・。
5月3日午前、私も高野病院にお伺いする途中、広野町北迫地蔵尊の近くで、草を食む三頭のべ子を目撃いたしました。(もしかすれば同じべ子かも)偶然三頭という事で、4月10日に楢葉町で見たべ子ではないかと想い涙が溢れました。
4月21日のNEWS
牛に「ごめん」20km圏最後の日
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1578497&media_id=2
ついに警戒区域(立ち入り禁止)になると知り以下のような日記を書いたからです
今回(4月9日~17日)の福島行で、楢葉町の友人宅(第一原発から約15km)に同行させてもらった折、牛舎付近に3頭の牛がいた。
友人は感無量の声を上げ「べこはもういねーとおもったが、やつらにも家は判ってるんだなあ」
友人の説明によると一旦着の身着のまま避難したあと、長期離脱を余儀なくされると覚悟を決め準備に帰宅した折、牛が餓死することをよしとせず、放ったと言う
私に向かって来るかもしれないから気をつけろと言われたが、私を見るなり牛のほうが牛舎に消えていった。
数回飼料をくれに来ていたというが、もうそれも出来ない
草食動物である彼らはなんとか放されていることで生きてゆくことは可能かもしれないが、汚染は免れまい
この地方には畜産農家が多いと聞く
牛舎につながれた牛はもう餓死したと聞く
放たれた家畜や犬猫のの多くもその後は判らないと聞く
犬猫などの動物の愛護団体が保護したり餌を道路に落として行ったりしている現場にも居合わせたが、幹線道路などでは車にはねられた姿も各所にあった
牛だけに限らず原発は動かず長年そこにあったのだし
本来なら
避難計画に家畜なども盛り込まれているべきだったのだ
もちろん人間の避難計画すらなかったのだから致し方ないとはいえ
今回の措置までに立ち入ることは可能だったのだから、何か手は打てなかったのだろうか?
外部の人間である私がとやかくいう事ではないかもしれないが
私の知る限り20~30キロ圏とは言わず、放牧し面倒を見ることが出来る施設や広大な土地は幾らでもあったが・・・・。
見捨てていかなければならない人々には
自らの安全と引き換えに、心の痛みは増すことだろう
その気持ちは汲めても、私にはとって代わる事が出来ない
あの時目を合わせた
あのべこは・・・。